読書:サピエンス全史(下)読了
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『サピエンス全史』 下巻読み終えた
上巻で「貨幣・帝国・宗教」
が、ホモ・サピエンスが現代の自分たちのような人になっていく流れの中でできあがった「虚構の装置」であるということが示されていたが、下巻ではそのうち「宗教」と「帝国」について深ぼっていく内容となっていた。
時系列でいうと以下の流れ
- 7万年前:認知革命
- 1万2000年前:農業革命
- 500年前:科学革命
- 200年前:産業革命
500年前以前から帝国もあれば宗教もあったが、そこで言われている帝国は貨幣と宗教があっての帝国だった
この帝国が科学革命以降から、帝国と科学の結びつきが強くなりそれは今でも続いている
- P.29 仏教の解説が秀逸
- P.38 ナチスの理解とそれに対して科学的にも反論できなかった例に驚き
- P.47 2次のカオス系、歴史も市場も政治も
科学革命
- 無知を知ること、知らないことがあると思っていいという虚構
- 知らないことは、今後知ることになっていくという希望があるという虚構
- それまでは未来が良くなるなんて思ってもいなかった → 虚構・文化
- 科学革命と帝国の相性の良さ
気になったことメモ
ミシシッピバブル
- これによりフランスが大変なことになった これがずっと尾を引いている
- そのきっかけがちょっとした金儲けのための嘘だったなんて!!
- これによりフランスが大変なことになった これがずっと尾を引いている
資本主義がうまれて、共産主義がいけないとされた
- 資本主義がまだ世界をよくできていないのは発展の途中だから
- シンギュラリティがまだきていないから
- その前に地球資源がなくなる
- 資源はなくならないのでは?でも環境が壊れて取り返しがつかないってのはありうるシナリオ
- 資本主義を回すために、作った以上の消費をするってながれが生まれた
- 資本主義がまだ世界をよくできていないのは発展の途中だから
で、資本主義で人は幸せになった?
- 事実を見るととても平和にはなっている
- とはいえ、戦争的なものでなくなっている人も数多くいる
- でも、子供の死亡率とかはかなり下がっているのも確か
- なにより世界は平和と思っている状況っていうのがこれまでの歴史上まったくなかった事態だってことは事実
- 核の発達により逆に平和になった → 戦争してもリターンが少ないしもう奪い取る資源もないし、地球壊れるし、、、
- 事実を見るととても平和にはなっている
人間の幸せに対する考察
- お金は一定の額を超えると幸せには関係しなくなる
- 幸せは「客観的条件と主観的な期待との相関関係で決まる
- 牛に引かせる車がほしいと期待していた時に牛車が手に入れば嬉しい
- フェラーリが欲しかったのにフィアットの中古しか手に入らなければ惨めだ
- で、このときの体の変化を科学的に見ると
- 体内に生じる「快感」があるか否かってだけが幸せかどうかを決める
- で、この快感は生物的に一瞬じゃないといけなかった、快感が続いたらそこでおしまいでもう何もしなくなるから
- 種の存続という観点では継続的に繁栄しないといけないから、何もしなくなるのはNGってことだ
- そこで、快感物質をつくってそれを摂取しようみたいな人達も出てきた → ニューエイジ
- 中世の祖先たちは死後の世界についての集団的妄想の中に人生の意味を見出していたおかげで幸せだったのだろうか?
- まさにそのとおりだ P.233
- P.234 幸福は人生の意義について個人的な妄想を、その時々の支配的な集団的妄想に一致させることなのかも知れない
- これはなんとも気の滅入る結論ではないか。幸福は本当に自己欺瞞あってのものなのだろうか?
- で、仏教がでてくる
- 内面で決まった幸せとか、そこを求めるのではなく、その妄想・想像が浮かばせることはやめて目の前の物質だけに意識を集中しようと
- それすらニューエイジは、幸せは期待が決めるのだから、もう内面しかないよねって形にして仏教徒は逆のところに落とし込んでしまった、、、
- ということで、学者たちが幸せの歴史について考え始めたはまだ最近
- なので、歴史といっても市井の人々が幸せだったかどうかということについて考えることをこれからはしていかないとって結論
- そもそも幸せって快感とか特定の感情とかそういうことではないって可能性だって大いにあるのだから
- なので、歴史といっても市井の人々が幸せだったかどうかということについて考えることをこれからはしていかないとって結論
超ホモサピエンスの時代
今、技術的には人が人を作れるようになっている
- シンギュラリティがいつ訪れるかって段階
- それは技術もそうだが倫理的・政治的なものでもそう
- たとえ私達の肉体は改造できても心は改造できない、本当にそうか?
- こういうことを進めている科学者はこういうという「私達は病気を治療し、人命を救うためにやっている」と
- シンギュラリティがいつ訪れるかって段階
最後に
唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかも知れないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分に考えていないのだろう。
メモ以上