ホメオスタシスとの闘争

学問なんて社会に出たら役に立たないよ

「学問なんて社会に出たら役に立たないよ」

確かにオラオラの人たちはそういう風に言うだろうし、大抵の成功している人は自分の力で成功してきていると信じているのでオラオラだ

オラオラは言葉に力があるし、言い負かされてしまうことが多い

言い負かされて悔しいので、こんな誰からも読まれることのない場所に思いの丈をぶつけている

知識の更新が必要

で、そういうオラオラな人たちが作り上げた空気感

実績に伴った抵抗の言葉もはばかれるような空気感、威圧感

そういったものが社会の空気というか共同幻想になって、信じて疑うことのないものになっていると実感している

でも、そんな状況が必ずしも良いものとは限らない

少なくとも自分にとっての最善策ではないというのを実感している

これの打開策として、知識の更新が必要になるのだろうと理解した

知識の更新には、以下の2つがあるという

・「もし~ならば、~しなければならない」の形をとる義務論的知識
・「もし~ならば、~である」の形をとる直説法的知識

上の義務論的知識がまさに共同幻想的なもので、ここで集団を維持するために働くのがホメオスタシスというらしい

ホメオスタシスとは?

ホメオスタシスってなんだ?

集団を維持するために働くホメオスタシスは、集団に埋め込まれた集団知の更新を妨げる方向に働きます。

で、このホメオスタシスが働いた共同幻想的な空気感では打破できないものが確実にあって、それを打破するための積み重ねの1つが学問になるのだ

では何故学問が存在する(消えてなくならない)のかといえば、集団に埋め込まれた知では解決できない問題が多々あるから、そして常に生まれてくるからです。

とっても腑に落ちる

今、当たり前のように信じられている常識は、なにかのきっかけでたまたま良いものとされているだけのものかもしれない

それを全員にとって良いものみたいに思い、それに従わないと良くなくて、それに従えないと価値がなくて、みたいなことでモヤモヤを生んでいる根源になっているかもしれない

だから常に常識とか共同幻想とか空気感とか威圧感とは戦っていたい

その原動力はおそらく自分勝手さなんだろう

でも、この自分勝手さに説得力をもたらすために過去の歴史とか過去の人々の蓄積を利用させてもらってなんとか自分の生きやすい状況をつくりたい

そのために色んな本を読み、学問を続けていきたい

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